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鉄腕アダム Archive

鉄腕アダム007

ここ数週間、蝶の姿は確認されずのどかで長い夏が続く。とはいえ僕が生まれたときには一年のうち最高気温が30℃を越える日は60日以上に達していて、比較すべき短い夏というものは経験したことがない。

僕の任務は蝶の軌道をエシュで解析して行われる。蝶が地球に近づくまで何度も軌道を計算し直し、その度に何回もシミュレーションを行う。最後の最後の修正は宇宙にあがった僕の判断で行う。エシュの計算はほとんど誤差はない。それでも幾分かの誤差があるときがある。でも地球は今も存在している。そして今までに失敗は存在しない。


「エシュにアクセスしてる時ってどんな感じ?」
屋内プールにイワンの声が響き渡る。プールの縁で水の砕ける音、夕方で僕の影は長い。
「なんで?」
天井を見据えたまま、イワンの体が水に浮いている。
「いや、シミュレーションしてるときの顔がやたらと神妙だからさ、まあくすくす笑われたらこっちも気味が悪いけど。」

体をくるりと反転させ平泳ぎをする。
薄暗い屋内プール、イワンの背中に答える。
「多分イワンには理解できないよ。」
「理解はできるよ、実感はできないけど。」
「理解ができて実感ができないってのがうまく理解できないな。」
「理解ができて実感ができないってのをうまく説明してやるよ。」

ーーーふん、なんだろう?

「アダム、前言ってただろ。音楽について」
「あ、ああ。そうか、わかった理解した。」
イワンは泳ぎをやめ振り向いた。
「わかるなよ(笑)」
「音の高さや音色、リズムやメロディは理解できるけど、ほ乳類を飛び級した僕の脳には何も感じない。」

影は伸びる。

「音楽はヒトが生まれる前に世界にあったという仮説、音楽という動物の言葉。人が音楽を生み出したと感じるのは傲慢な人間だ。このプールの水のようなもの、人間は音楽という水槽を泳ぐ魚さ。人間が音楽を支配なんてできやしない。」

「音楽を聴いている人たちは楽しそうで幸せそうだ。うらやましいよ、水族館で大きな水槽を眺める気分っていったら理解できる?」
「だったらお前も水に飛び込めばいい!」

イワンは僕の足を引っ張る。僕はバランスを崩しプールに落ちる。プールの底の青い光、無数の白い気泡。顔を水面からあげるとイワンが笑っている。

「油断したな!アダム!」
「……子供みたいだ」
「子供であることをやめなきゃいけないのは、大人が勝手に作ったルールだ。」
「その論理も子供みたいだ」

でも僕はイワンにつられて笑ってしまう、つくづく思う。イワンはとても頭のいい子供だ。そしてそれをよく理解している。よい大人よりずっとよい人間だ思う。

「泳げよ、アダム!」

イワンはプールの底を勢いよく蹴りクロールをしはじめる。水の砕ける音、水しぶきがあがり塩素の匂いがする。

その日僕は生まれて初めて泳ぐという事をした。泳ぎ方は本で読んで知っていて、すぐにイワンに追いついた。

鉄腕アダム006

めずらしくひばりが鳴いている。こんなことは滅多にない。雨があがり湿り気を帯びた風が吹いていて、そして。

イワンはキャンプ用の折りたたみ椅子に座ってのんきに万華鏡で空を覗いている。

「それ面白い?」

「面白いよ。シンプルなアルゴリズムのくせに一つとして同じ形がない、よって飽きない。」
口が半開きのイワンの顔は少し間抜けだ。本当に頭のいい人間はどこか子供っぽいところがある。もしかしたら早く大人になりすぎて、大人になってから子供の時間を消費するのかもしれない。

「人間の一生は二種類あってね、選択肢があるものは人生という。生と死の間には実にいろいろな形があるのさ、この万華鏡で覗いた世界みたいにね。」

ーーー選択肢がないものは?
イワンを見る。

「選択肢がないものを人は運命という。」
得意げだ。

「じゃあ運命を背負った人は退屈だね。」
「さあどうだろう?運命は……」


缶ジュースを握りしめ、グレーの瞳は僕をじっと見つめている彼女はこの物語のヒロイン、名前はイヴ。僕の技術を応用した作られたセクサロイド、そのプロトタイプだ。アダム計画の資金の一端を担っている。今では火星からも注文がくるほどの人気商品だ。ある経済学者は言う。売春は世界最古のビジネスだと。

「……突然やってくるものでもある。」
イワンは万華鏡をしまう。

「君の肋骨で作られた、君の妻さ。駆動系は簡略軽量化されてて、人工脳も一世代前のものに改良を加えたものだけど、ほとんど君と同じだよ。もともとは民間の会社に委託した君の量産機だったらしいけど過酷な環境に耐えられなかったんだな。まあ性器はさらにまた別注らしいけど。」

イワンは万華鏡を丸めた指に出し入れして、下品に笑う。

「……ふざけてる」
吐き出すように言う。

「ふざけてるのかどうかは置いといて。事実、君の維持費は半端なくかかるんだ。苦肉の策さ。」
イワンは丸めた指からするりと万華鏡を抜き取る。

「娼婦に食わせてもらってる男はどの映画でも最低だ。」

「そうでもないぜ、クリスチャン・スレーターがでてる映画でさ、……あーなんだ思い出せない。」
イワンは軽く握った拳でコツコツと額をたたく。

「トゥルーロマンスだろ?しかも売春婦に食わせてもらってる映画じゃないよ。主人公はただのオタクだし。」

「オタクは監督だろ。」

「違う、脚本家がオタクだ。」

「まあいい、アダム。お前はそういう運命だ。」

気がつくとひばりの声はやんでいた。

鉄腕アダム005

暗い闇の向こう側から20万kmで地球にやってくる虹色の巨大な蝶。彼らはどこからやってきて、なぜ地球を目指すのか。蝶は一体何匹いるんだろう。もし蝶をすべて殲滅したら、僕はどうなるんだろう。

「アダム、あがっていいぞ」
イワンの声。

世界最速の量子コンピュータ、エシュの作り出した仮想の宇宙空間から帰還する。ゆっくりと目を開けると、僕は広い部屋の白い大きな椅子に座っている。体中からいろいろな管がのびて、まるで病人のようだ。

「体中からいろいろな管がのびて、まるで病人のようだ」
誰に言ったわけではなく、広い部屋の硬い壁が、僕の声を反響させる。

「君が死んだら地球も死ぬ、病んでいるのは地球かもな」
扉にもたれ掛かってイワンはボールペンをまわしている。
地球は静かな死を望んでる、ふとそんな言葉が頭をよぎる。
「巨大な蝶は死化粧をしに来ているのかもしれない」

イワンはまわしているボールペンを胸のポケットに挿す。
「まだ死にたかないさ。生と死は一枚の薄っぺらい紙のようなもんだ。」
イワンは一枚の紙を天井の明かりにかざして目を細める。
「このプリントみたいにね、死の裏っかわに生が透けて見える。逆もまたしかり、裏返すと生の裏っかわに死が透けて見える。」
プリントをくしゃくしゃと丸めてゴミ箱へ投げ入れる。
「死を見つめる眼差しはつまり生を見つめる眼差しさ、たまに見ないと自分が生きていることを忘れる。人間の悪い癖だ」

「よくわからない、僕には」

イワンは眉間を掻いている。
「アダムは死んでも僕たちのバックアップデータが君を目覚めさせるからね、迷惑かもしれないけど。地球を、人類を救えるのは君しかいない。」

「僕は生きていると言えるのかな?もしかしたらエシュの作り出した仮想現実の中の住人かもしれない。」

イワンはポケットに手を入れて天井を見ている。
「よくわからないね、僕には」

「冷たいね」

「僕だって自分のこの現実が現実であることを証明できないよ。僕の現実はアフリカの蝶が見る一瞬の夢なのかもしれない。否定できない。でも結局どこにリアリティを感じるかだ。人間を形作っているものは必ずしも現実に根ざしたものだけじゃないさ。架空の世界の架空のヒーローが世界に向けて叫んだ言葉が僕の現実を強くすることだってあるさ。」

「否定できないね」

一瞬の沈黙の後どちらかが吹き出して、僕らは笑う。

鉄腕アダム004

「ボーリング?」

イワンは神妙にボールを転がす真似をして、舌でピンの弾ける音を再現する。
「そう、ボーリング」
振り向いた笑顔は実に子供っぽい。

「なんで僕が」
「一人でボーリングするのは寂しいだろ、たまにマイグローブつけて黙々と玉を投げてる人いるけどな。下の町にあるんだ、知らないか?」

「さあ、宇宙からは小さすぎて見えないから」
「本気なのか冗談なのかわかりづらいな」
それはイワンもだ。

「第一ボーリングなんてしたことがないよ」
「したことがないのはしない理由にならないだろ?」
乗り気じゃないけど断る言葉が見つからない。かわりに声にならない息が漏れる。

イワンに手渡されたしわくちゃの帽子と眼鏡をかけて(有名人だから、と言って渡された)長袖のシャツを着た。イワンの車が止めてある駐車場まで行くと車の脇で見覚えのある女性がタバコを吸っている。昔、イワンと仲良く写っている女性を誰かと尋ねたことがあった。

「クロエさん?」
「え?あれ?アダム……君?」
写真の通り、栗色の髪と目を引く肌の白さ、背が高くイワンとさほど変わらないと思う。自分を名をなぜ知っているのか、もしくは僕が眼鏡と帽子してこんなところにいるのか、かもしれない、いずれにせよクロエは驚いた風に僕を覗き込む。

「悪い悪い、マイグローブが見つかんなくて」
イワンが駐車場の暗がりから声を上げる、僕とクロエはイワンを見る。多分二人とも同じことを考えているはずだ、説明が欲しい。


午前中だというのに気温は30度を超えている。窓の外を果樹園が流れていく、道路は定規で引いたように真っすぐだ。

「一人でボーリングするのは寂しいだろ、先週痛感したんだ。」
イワンがマイグローブをつけて一人でボーリングをしているのを想像して、思わず笑ってしまう。後部座席のクロエはサングラスをかけてシートにもたれかかって外の景色を見ている。
「基地の中は意外と知り合いが少なくてね」

「あの、なんで私とあなたが恋人同士になってるわけ?」
「あれ言っちゃまずかった?」
イワンは親指で眉間を掻く。

「まずいも何も、恋人同士でもなんでもないでしょう?二度と会いたくなかったわ」
「君を呼んだのは天馬博士さ。世界中の頭脳が集結するプロジェクトだからね。事実君の論文はアダムプロジェクトにとても役に立った。」

イワンが僕をちらりと見やる。
「おかげでボーリングをする友達がひとりできた。」
建物の間からどこかまぬけな雰囲気の漂う巨大なボーリングのピンが見える。


深い赤の玉がレールに乗ったように真っすぐとピンに吸い込まれて、すべてのピンがきれいにはじき飛ばされる。

「たいしたものね」
クロエが手を叩く。
「たいしたもんだ」
イワンはビールを一口飲んで立ち上がり、ボールを手に取る。イワンは手を挙げ、僕はその手を叩く。テーブルには、ハンバーガーやらタコスやらお好み焼きやら豚まんやら、地下のファーストフードが集まった一角でイワンがいつの間にか買ってきたもので溢れている。僕はファンタオレンジをストローで啜る。

「嫌がらせね……」
ウーロン茶のストローをかじりながらクロエが言う。
「え?何が?」
「ダイエット中なのよ」

ピンが弾け飛ぶ心地よい音が響き、イワンがガッツポーズで振り返る。クロエは立ち上がり、手を挙げるイワンの横を目も会わさずに素通りする。イワンは肩をすくめベンチに戻ってくる。

「なかなか楽しいだもんだろ?」
「ボーリングが?」

「いや、こういう休日がさ」

結局みんな肩を並べたようなスコアで、かろうじてイワンが面目を保った格好でボーリング場を出た。帰りにドラッグストアに寄り、クロエはこまごまとした化粧品を買った。イワンはワンフロアーの大きなおもちゃ屋で、シルバニアファミリーの人形をたくさん買い込んでいた。

果樹園を照らす街灯が窓を流れていく。クロエは外を見ているのかと思ったけれど、窓におでこをつけて眠っている。最初は街灯が反射しているのかと思ったけれど、クロエの左の手の甲の皮膚の下で蛍のような光がぼんやり光っている。

「イワン、なにかクロエの手が……」
いつの間にか自動運転に切り替わっていて、イワンはハンドルを握ったまま眠っている。僕の言葉は途中で行き場を失い、真夏の夜のぬめりとした風が車を撫でている。

鉄腕アダム 003

「アダム、そろそろだ」

わかっている、いつものイワンの声。いつもの青い光、いつもとかわりない静寂。

視線の先の深い闇から時間通りに巨大な蝶が姿を現し、一瞬で距離は縮まる。いつものように直進してくる蝶に鋼鉄の拳を振りかざす。

いつもと違う、腕が重い。

蝶は僕の腕をすり抜ける、僕は反転し蝶を追いかける。いつもと違う、体が重い。手が届かない、口の中に嫌な味が広がる。全身を無数の針で刺されているような錯覚に陥る。届け、届け、届け届け届け届け。

蝶との距離が縮まらない。基地の人たちの顔が脳裏に浮かぶ、イワンの顔が浮かぶ。イワンの恋人の顔も、天馬博士の顔も。

「失敗しても誰も怒らないさ、そのときは人類は跡形もなく消えている。」
いつかのイワンの笑えないジョーク。

「イワン、間に合わない!!僕は」

蝶は地球を貫いて、地球は一瞬の閃光とともに消えてしまう。本を閉じるように、あとかたもなく、あるべき地球が、青い光が。

僕は

僕は、どうしたらいい

宇宙空間で座標を失い、静止しているのか、移動しているのかさえわからない。鋼鉄の腕がガタガタと震える。ねえ、誰か応答して。お願い。僕は失敗してしまったんだ、どうしたらいい?誰でもいいから声を聞かせて。僕はどうしたらいい?失敗してしまったんだ、どうしたらいい?ねえ誰か教えて。ねえ誰か、お願いだから……。

主を失った人工衛星が僕を見つめる。

僕は泣いている。泣いていることに気がついて、これは夢だと気がつく。僕は涙を流すことができないから。

目が覚めると部屋は暗く、早く朝になればいいと思う。腕の震えがおさまらない。

鉄腕アダム 002

「よう、遅かったじゃないか」

痩身で長身でグレイの髪のグリーンアイズ。彼をみると昔読んだオオカミ王ロボを思い出す、ロボではなくロボを裏切ったしたたかなナンバー2を。彼の名はイワン、僕のメンタルメンテナンスを担当している。心臓が右にある先天的な奇形、本職は人工脳の研究者だ。人工衛星に手を振るように言ったのも彼だ。

「待ち合わせをしてた覚えはないよ」
イワンはタバコをもみ消し僕を見ないで笑う。
「なんだ、一発でしとめられなかったから機嫌が悪い?」

そうかもしれない、僕は答えない。

「蝶に接触するといつも不思議な気持ちになるんだ。うまく説明できないけど。」
イワンは顔を上げる、口だけで笑っている。
「蝶の意識に触れたのさ。あのでっかい蝶は宇宙の意思だ、個人的見解」
彼は本音ともつかないジョークを言う、彼の癖だ。
「あの蝶が宇宙の意思なら宇宙は人類を絶滅させるつもりだ」
「人類が絶滅しないようにするのが人類の意思さ、そしてそれが君」
彼の笑顔につられて僕もつい笑ってしまう。

「それも個人的見解?」
「なんだろ総体的見解っていうのか?言葉を知らないんでね」

「蝶ってなんで地球にやってくるんだろう?」
イワンはタバコに火をつける。

「……飛んで火にいる夏の虫」
イワンは煙を吐き出しながらだらしなく笑う。

「それは蛾だよ」
「蛾がなんで火に飛び込むのかは、実はよくわかってないんだ。何十万年も自分の中のプログラムに従って生きてきた蛾に、たかだか一万年前にぽっと出た人類が火を使いはじめた。結果蛾は火に飛び込んで焼け死ぬこととなった。」

「なら蝶は太陽に飛び込むべきだ」
「たとえ話さ、火に当たるもの、一体何かは知らないけどそれが蝶を呼び寄せてる。」

「個人的見解?」
「ああ、個人的見解」

火星へ飛び立つ宇宙船が白い雲を引いている。火星ではテラフォーミングが進み、火星のコロニーでは移民はもちろんのこと2世、3世も生まれていて、火星人という言葉が差別用語といわれたのは昔の話だ。

「火星って行ったことある?」
「ないよ、帰ってきたらリハビリが大変だ。」

火星は重力差のため地球に戻ってきた場合リハビリが必要になる。環境汚染、経済不安、戦争、異常気象に伴う飢饉と疫病。死にかけの地球から希望の火星へ、そのほとんどが片道切符だ。

鉄腕アダム 001

マイナス271度の空気のない世界で、僕は青い光を背中で感じる。

「アダム、そろそろだ」

わかっている。

遥か彼方の闇の中の巨大な蝶を太陽の光が照らし出す、距離は一瞬で縮まる。鋼鉄の拳を振りかざし時速20万kmで直進してくる巨大な蝶の腹にたたき込む。何百回とシミュレーションを繰り返している一撃だ、データが変わる度に計算をやり直す。これが本番であるという実感がわかない。

裂けた腹が赤い体液を吹き出し、そして一瞬にして凍り付く。凍り付いた体液は光を反射しきらきらと光る。

浅かった。

すばやく反転し、地球へ直進する蝶の頭に鋼鉄の拳を振りかざす。蝶の首がもげる、意識を切り離された胴体は弱々しく羽ばたきながら成層圏で燃え尽きる。任務完了、蝶の灰は今日はどこに降るんだろう?

人工衛星に赤く染まった右手を振る。そうしたほうが受けがいいと教わった。地球のモニタには僕の手を振る姿が映るだろう。世界中のニュースでも僕の姿は流れるはずだ。今日も地球を救ったと。

目を閉じ、僕は地球へ墜ちる。このまま燃えてしまえばいいのにと思う。僕は人類を破滅から救うことのできる唯一のロボット。僕の名前は……

〜タイトル〜

鉄腕アダム

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