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崖の上のポニョにダメ出ししてみる

  • 2008-07-25 (金)

うだる暑さの中新宿で崖の上のポニョを観てきました。ネタバレ含む感想は以下。

すべて鉛筆で描きましたと強調しているように宮崎物理エンジン爆発の映像です。アニメーションの中で最も難しいとされる水の処理をこれでもかといわんばかりふんだんに使っています。宮崎アニメの中で水というのは頻繁に演出として登場しますが今回は演出ではなくある意味水が主人公です。

この全編鉛筆で描きましたと強調する背景にはピクサー社製のCGアニメに対するアンチテーゼがあると思います。西洋人の度肝を抜いた葛飾北斎の波を彷彿させる、線で処理された躍動感はCGではまず再現不可能だと思いました(というか宮崎駿以外無理)。

映像は過去の作品を彷彿とさせるシーンが随所にあるもの、今までの宮崎駿作品とは違うリズム感に支配されています。どちらかといえばジブリのリズム感というよりかはピクサーのリズム感だと思いました(ただピクサー社のアニメってちゃんと観た事がないのでなんともいえないんですが)。

観た方はわかると思いますが要はこの映画には息継ぎがありません。カリ城なんかで未だに熱く語られるタメがない、ジブリの背景職人男鹿和雄のすーっと抜ける画がない。ひたすら面かぶりクロールで4km泳ぎきりました!みたいな驚異的肺活量の映画です。多分これは主人公が5歳というところからもわかるように5歳児を席から立たせない為の演出だと思います。とにかく画面で何かしら動いていて、しかもそのアニメーションが気が狂ったように豊穣、正直僕はすごく疲れました。ポニョを癒されるアニメーションなんてうたってる文章がありますが、癒す側が全力の為こっちの気が休まらないといった感じです。眼鏡を忘れたためさらに疲れたっていうのもありますが。

で、物語ですがここがネックで軸がぶれていて非常にわかりにくいです。物語が難解というのではなく理解できないという意味です。この軸のぶれの要因はフジモト(所ジョージ)というマッドサイエンティスト風のポニョの父親が、一体何の理由があって人間界を離れたのか?何の目的を持って怪しげな研究施設に閉じこもっているのか?が物語では語られません。

宮崎アニメのうまいところは登場人物が登場して3分でこの人間が一体どういう人物であるかがわかる点にあります(というか面白いエンターテイメントは全部これをやってる)。しかしフジモト場合は完全に失敗しており、フジモトを語るべきシーンで主人公の母親に気味悪がられて終わっています。なにやらこの物語の鍵を握っている事を序盤に匂わせるものの、後半はポニョがおこす騒動の後始末をただひたすら行うだけで、最終的には物語が消化不良をおこし「いやーおもしろかったー!」で席を立てないんです。

そして映画全体を支配する空気がぬるく(決してあたたかいではない)、子供の感情を抑制する弁がない。子供が何をしようと偉いねぇ、すごいねぇと言うぬるい大人ばかり。宮崎アニメではよく登場する、主人公を優しく諭すいい味出してる老人はなりをひそめ、5歳児と同じ目線で話す痴ほう老人しか登場しません。

前作の息子がつくったゲド戦記が父親の呪縛のお話でしたがポニョは父親が不在のお話です。フジモトしかり、主人公の父親も船で海に出て帰ってきません。主人公はクレヨンしんちゃんのごとく両親を呼び捨てにする点も非常に違和感がのこりました。

海の持つ二面性、海が命をもたらす生命の象徴(母性)はポニョの母親に託されますが、もう一つの荒ぶる海(父権)はポニョが持ち出してしまい物語の舵取りが失われています。僕がもし脚本を書くのであれば荒ぶる海をポニョと父親で分け与えて(ポニョと父親の対立を荒ぶる海に投影するのがいいかも)そこに仲裁にはいる母親という物語の構造にします。最終的にポニョが盗み出した魔法の力を父親に返還し、ポニョははれて人間になれましたというエンディングはどうでしょうかね、監督?

ハウルは途中から乗った船で仕方なかったにせよ、今回もスッコーンと抜ける物語のマジックはでてきませんでした。でもいいシーンはいっぱいあって、ポニョの魔法で大きくなったポンポン船に乗り母親に会いにいくところや(この船が非常に気持ちいい)、主人公の母親と父親がライトを点滅させて喧嘩するところなんかはみた事ない演出で非常にうまい。

非常にもったいない映画だなあというのが僕の感想でした。

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